笑いながら 死ねばいいのに、あはは、愛だよ、と言われたときは腹を立てていいらしい。

私はただ少しだけ口角を上げて答えることしかできなかったけれど。愛を鵜呑みにしたかったので。

そうしてやり過ごしてきたことが、視界をぼかして気持ちの良いところだけ触れてきたことが、あまりにも多かった。


見つめること受け止めること向き合うこと。まだ少しだけピントを合わせきれていない気がして、まだ少しだけ手が震えている気がして、うまくシャッターを切れず途方に暮れている。


「本当に向き合いたい?」
外側の外側の外側の自分がうるさくて、目の前のひとから視点がブレる。

いや、視点を戻すと相手が絶えず私を見つめているのが分かるから、いつだって目線が合ってしまうから、全部見破られている気がするから、居心地が悪いのかもしれない。
裏切るのが怖くて、失望されるのが怖くて、逃げたいだけなのかもしれない。


まだ戸惑ってる。混乱してる。
ごめん。



(2016.2.25 追記)

窓、雨、傘と本棚

カーテンを細く開いて窓の外を見ると、目の前を明け方の首都高と中央線の始発列車が横切っていた。
静かに降る小雨にけぶった白い空気、ひんやりした朝の温度。列車とトラックのタイヤ音だけが耳に届く。
しばらくそのまま見つめていたけど、裸の肩が冷えてきたのでカーテンを閉じた。


いつか、1年後や、5年後、10年後に今を思い出す時、いったいどんな色の記憶として思い出すんだろうと想像する瞬間がある。
この先必ず、繰り返し思い出すだろうとも思う。
そういう景色でした。

多分そういう記憶を後でより鮮明に思い出すために、こうやって文字にして記録しているんだと思う。そういう瞬間を思い出して感傷に溶けるのが好きだから。


今が過去になったいつか。
今を過ぎた自分が何を考えて何を見て何を思うのか。
今には意味なんかなくて、ただ目の前にいろんなものが横たわっていて、私はそれに流されたり受け入れたり逃げ出したりを繰り返しすことしかできない。今が意味を持つのは過去になったその時だと思う。


 
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書き散らしていたら終着点が見つからなくなってしまって、ここまで消してそれから何も浮かばない。
文章がまとまらないまま研究室に着いてしまって、目の前のタスクに手を付けたらどちらもめちゃくちゃになったので、結局不貞腐れ気味にパソコンを閉じました。

梅雨は思考が淀む。身体も重くて、だいたい機嫌が悪い。22年前母の腹から出てきたときも随分不機嫌だったんじゃないかと思う。
紫陽花が咲くから、しょうがないと諦める。ただじっとやり過ごす。
夏は夏で鬱陶しいから、やっぱり5月で終わるべきだったと後悔した。


部屋

今日は11時過ぎに起きました。iPhoneのアラームが鳴ったのは8時。夢現のまま止めて、寝て、30分後に目が覚めて、体が重くてまた寝て、覚めて、寝て、夢と現がぐしゃっと混ざってはゆっくり分離するのを繰り返していた。束の間白く濁るドレッシングか何かのようでした。

なんだかいやに体がだるいのは一昨日の寝不足のせいだろうと思っていたら、なるほど台風が近づいているらしい。ベランダの先に広がる公園の、生い茂った五月の木々ががしゃがしゃと音を立てている。薄曇りで、明るくも暗くもなく、冷たくも温くもない。
学校に行くのは諦めて、母の作り置いてくれた弁当を食べて、コーヒーを淹れた。注いだ牛乳がゆっくり広がるのを眺めてから一口飲みました。


ずっと同じ部屋に住んでいるので、時々思い立って整理をするとびっくりするほど古くてくだらないものがたくさん出てくる。小学生の頃使っていた鞄だとか。中学生の頃使っていたインク切れのボールペンだとか。
世に言う「断捨離」というやつが本当に苦手。細々としたお気に入りや日常に要らない愛着をもってしまうので、部屋の中はどうでもいいようなものでだんだん埋め尽くされていく。それらは地層をなして、或いは部屋の隅へ隅へと押しやられて、普段はすっかり忘れてる。


忘れていても勝手に消滅してくれたりはしないわけで、時々全てをひっくり返して要らないものを捨てなきゃいけないんだけど。捨てなきゃいけないんだけど。

それを私は掘り起こし眺めて、いろいろ思い出して、またなぜか違う箱に入れて片付けたことにしてしまうのです。
またそのうち部屋の中でばったり遭遇してあぁとなるのは目に見えているのに。

そんなことを何度も、何年も、ずっと繰り返しています。


同じ街に住んで、同じ道を通って、同じ電車に乗って、関わる人の顔ぶれだけが少しずつ移ろっていくとまた、私の中に地層ができていく。ちょっとしたことで地層を崩して足の踏み場がなくなる。今のものと今までのものが混ざって、感情みたいなものが、色みたいなものが、散らばる。

同じ人間として生きているうちはきりなく繰り返すだろうとは思うけど、そんな自分の頭の悪さを認めたくないので、また改善するほどの気概もないので、住む街のせいにします。


ガタガタやっていたら部屋の中が埃っぽくなったので窓を開けた。
肌寒くなってきた気がする。
今夜じゅうに雨が降り始めるのか、ニュースを見ていないので、知らない。

振り子

五月。
陽射しが強くてでも風はまだ温くない、そんな日が続くゴールデンウィークだった。所謂お出かけ日和。
あまりに天気がいいと死にたくなる。気分がいいから、このままどっかでぽーんと車にでもはねられて死ねたら最高だななんてぼんやり考えながら歩く。


私の人生にはもう登場しないと思っていた人が、最近になって連絡をくれました。
思えば、「死にたいくらい」いい陽気だ、なんて妙なことを言い始めたのもその子だった。去年の今頃のことです。
感傷的なところがよく似ていたし、自己陶酔がちなところもよく似ていた。わりと無神経で、嘘が下手だった。

離れていった人がまた歩み寄ってくれることは嬉しい。でも同時に恐怖でもある。だいたいそういうのは喧嘩したりしたのではなくて、小さなことの積み重ねで遠ざかった人だから。またどんなことで離れていくか分からないから。

天気が良い日は死にたくなる。気分がいいうちにいろいろ終わらせたいんです。次の五月は一年後なので。




帝国

日記を始めるにあたって、まず、タイトルを決めなくてはいけないな、というところでずっと止まっていた。表現力乏しい私の頭には何も浮かばず、結局歌詞からの引用で落ち着きました。

鏡の前で腕を組んで
首を傾げてポカンと口開けて
10時と3時に欠伸して
あとは眠たくなったら眠ったり
一人楽しくなったら笑ったり

ゆらゆら帝国を初めて聴いたのは当時の恋人が教えてくれた《夜行性の生き物3匹》だったんだけれど、私が衝撃を受けたのはその恋人なんかすっかり消え去った後の5月頃だった。
引用したのは《午前3時のファズギター》で、低い男の声がだらだらとつぶやくように歌い、あとはひたすらガーガーピーピーノイズみたいなギターが耳障りな曲です。

私という女は精神的引きこもりのような男の人にものすごく色気を感じる仕様になっているらしい。というのは最近分かってきたことで、それを思うとゆらゆら帝国が、この曲が、私の本能にガシガシアピールしてくるのも納得で。

壊れかけてるものが好きなのか、きっちり清潔で綺麗なものに対して引け目でもあるのか、そのあたりは自分でもわかりません。
恋愛は結局似た者同士というのが定説。自分の内面ばかり眺めていろんなことに無気力で、諦念のようなことを言い訳みたいにだらだら垂れ流す。そんな人に魅力を感じてしまう私もまた、きっと上に同じ。

何を語ったところで結局自分のことしか考えてないし信じないし好きじゃないらしい。


別に間違ったとは思ってないけど、どこで間違ったんだろうとは思うよ。




泥水

午前中に起きて学校かバイトに行き、やるべきことをやりながら、暇さえあればiPhoneを手にぼんやり現実でない場所に意識を飛ばす。Twitter、LINE、Instagramの更新を順番に確認し、次に就活サイトから届いたメールを開かずに削除。
右から左へ。右から左へ。
右手の親指で蹴っ飛ばすみたいに画面をなぞり、企業からのメッセージ、合同セミナーのお知らせ、白のワイシャツ、ジャケット、まだ折り目もしっかりした黒パンツ、箱に入ったままのリーガル6センチヒールを順番に頭から消していく。
Twitterの画面はいくら下に引き下げても何も変化がない。

そこでやっと諦めて、また現実の、目の前の環境に意識を戻す。先生は他の子に培地の組成を教えてる。次私何すればいいんだろ。
あ、出入り業者の人。こんにちは。あ、先生にご相談ですね。
………長くかかんのかな。トイレ行くか。煙草吸いに行くかな。

そんな感じ。

例によってお客さんが来ない。休憩まであと二時間半か。なんか内職やることないですか。ないですかそうですか。はい。

そんな感じ。


夕方と言うには遅めの時間に家路に着いて、最近体調を崩した母をフォローしながら夕飯の支度をして、食卓を囲む。弟たちが風呂を出るのを待ちながら布団で寝落ちしてしまったりして、終わり。
それでまた朝。

そんな感じ。
つまりいつも通り。


なんだか面白いようなことがあったり、仲良しの友達と(現実や現実以外で)話してケラケラ笑ったりする。お洒落なカフェを探したり、家のご飯がおいしいななんてしみじみしたり、そりゃいろいろ、1日のどっかしらにはいろんなできごとが降り落ちてくる。

降り落ちてきて、たぷんと楽しくなる。少しゆらゆら楽しい。
あとはゆっくり沈んで、また元に戻る。
底がどうなってるのかよく見えない。よく見ようとも思わない。なんか汚いし。潜ったら臭いとか、つきそうだし。洗っても、落ちにくそうだし。
ろくなもの、出てきそうにないし。

そんな感じ。



最近意識しているのは自分の表情がフラットに戻る瞬間で、ゆっくり、平らに、低温に、戻る。ような気がする。
笑顔で話してたのがゆっくり無に戻る。

そんなのを楽しんでるからたちが悪いわけで、結局退屈してる自分を見てヨシいいぞ、いい感じにおセンチだぞ、若さゆえのアレか?迷いか?憂鬱か?と、水底で冷やかして楽しんでるのが正直なところだったりする。
そしてそうやって客観視してるつもりの自分も、ただ青臭い自意識だったりして。

入れ子式に自分を眺めては外側の自分が口の端で笑う。きりがないと分かっていても今更どうやって止めたらいいのか分かんないし。

「どれが本当の自分か分からなくなりました」
なんて陳腐な言葉は絶対に避けたい。
でも全部が自分だと思ったら途方に暮れました。



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今日もコーヒーを三杯飲んで、煙草を二本吸いました。昨日から咳が出る。
高橋先生には会えませんでした。

そんな感じ。
つまりいつも通り。